虎の007 スコアラー室から見た阪神タイガースの戦略

  • 作者: 三宅 博
  • 出版社/メーカー: 角川マガジンズ(角川グループパブリッシング)
  • 発売日: 2012/02/03
  • メディア: 単行本


【虎の007/三宅博/12年2月初版】
阪神のチーフスコアラーとして25年間(80年~2005年)、
9人の監督に仕えた三宅博の初の著書。
北京五輪では日の丸スコアラーとして、星野さんに請われて活躍しました。

すべての野球ファンが楽しめます。
ましてや、もしあなたが阪神ファンだった日にゃあタマランチ会長でしょう。

三宅さんは甲子園で活躍して、60年に阪神に入団します。
ドラフトのない時代で、スカウトが家まで来て、300万円を契約金として積み上げたそうです。
高卒の初任給が1万円の時代です。
その後大毎オリオンズが500万円を持ってきて後悔したそうですが、先に来たタイガースに入団。

4年目に20試合ほどスタメンを経験してこれからというところで、
右膝じん帯を断裂。その後奥さんの父親が経営する鉄鋼商社へ入社し、
サラリーマン生活を15年も経験します。

名詞の出し方から教わり、嫌いだったソロバンや簿記も習い、
おもに営業として町工場をまわり、材料の鋼材を買ってくれるようお願いをする仕事だったようです。

それが、通いの歯医者が西宮で同じだった小津球団社長に頼み込まれ、
二軍の内野守備コーチに着任します。2年後にはデータを重んじた安藤監督の要望で、
チーフスコアラーに転進です。

以来3年周期でお家騒動がある時期も、フロント大改造がある時期も、いつも虎の中心にいました。
だれよりもタイガースの試合をバックネット裏で見続け、
途切れることなくタイガースの試合前mtgには彼がいた。
すべての選手に相手チームの攻略法を毎日伝授していました。

三宅氏が心がけたのは、情報はシンプルに断定的にと、ネガティブな表現を避けること。
の2つです。ここに投げれば打たれる、ではなくて、ここだけは外してくれ、
という表現だそうです。言霊を重んじたのでしょうね。

25年の間で3度のリーグ優勝と1度の日本一、日の丸スコアラーは彼の誇りです。
野村、星野、岡田と、誰もが経験できないような個性的な上司にも仕えてます。

以下に目についた部分を。

<データ野球の発祥は日本>
球界ではじめてスコアラーを取り入れたのは、知将鶴岡一人。
1954年にスポーツ毎日の記者、尾張氏を球団に引き入れ、スコアブックから数字を求め、
データ作りをするところから始めた。

尾張氏はスコアラーの手法を隠すことなく伝授。1955年の日本シリーズ終了時には、
中日、阪神、毎日、阪急、国鉄、近鉄、広島、東映の順番で尾張氏の教えを乞うた。

1956年にドジャースが日米野球で来日したときに、尾張氏は自作の統計データを見せると、
オルストン監督は「メジャーにスコアラー制度はない。
この仕事をこれからもがんばって」と激励されたという。

尾張氏のスコアラー仕事は1970年に野村氏が南海の監督に就任すると、劇的に進化した。
今から40年前に9分割したチャートや、球種ごとの色分けなど、
現在のスコアシートとほとんど変わらない原型を作っていた。

第一期長島巨人のジョンソンは、巨人時代にスコアラーからもらったデータや、
スコアシートをごっそり米国へ持って帰った。
その後はスコアシートからデータを入手する方法を、
ニューヨークメッツの監督時代に応用して成功。
北京五輪では米国代表監督まで務めた。
現在はワシントンナショナルズの監督。




<ウイニングショットは3年続かない>
達川光男いわく、「キャッチャーとしてずっとピッチャーを見てきましたが、
いいボールは3年が限度です。4年も5年も投げ続けられません。
生き残るにはなにか工夫が必要です」

井川のチェンジアップは驚異的な落差で抜けてきて、
一瞬見えなくなる審判泣かせのボールだった。
メジャーへいく年の終盤に、チェンジアップが抜けなくなってきていた。

球児のストレートもそうかもしれませんね。




<その他>
・和田と弘田とバースは癖盗みの名人だった。
そのうち和田とバースは癖を他人に 教えなかった。
自分の飯の種でもあるし、みなが打ちだすと、相手が癖に気付く。


・野村監督着任時の話。阪神のデータ資料をみて、
「ヤクルトのよりええやないか。 どうしてこれだけのものがあって勝てんのや」


・新庄の敬遠球サヨナラ(槙原から)は、足がボックスから出ていてルール上はアウト。
ただあの雰囲気のなかでは誰も言い出せなかった。


・05年の優勝パーティで、銀座のクラブで下柳が、鳥谷と関本に「考えが甘い」
「取り組む姿勢が悪い」と朝まで説教した。あまりにもすごい剣幕だったので、
矢野と金本と片岡が間に入った。彼が先発すると内野手はピリピリしていた。


・狙ってあてることができたのは、中西と小山の二人だけ。
相手ベンチは中西を野次るな、と指示が出ていた。

・野村監督の今岡叩き(マスコミを使って)のとき、今岡の親まで球団事務所にきて、
「うちの子が何か悪いことをしたのですか。もう野球をやめさせてください」と抗議までしたそう。
星野、岡田監督のときは活躍したので、プロ選手にはモチベーションがいかに大事かよくわかる。

(暗黒のダメ虎史の過去記事:http://donhenley.blog.so-net.ne.jp/2010-09-26


「巨魁」と読み比べてみて、’’組織は長の器を越えられない’’を実感しました。
阪神の球団幹部のレベルが低すぎた。
たとえば巨人であれば、キューバ選手獲得で障害が出たとき、
車のなかでナベツネが故橋本総理に電話します。すごい政治力です。
阪神の球団幹部にはできない芸当です。

清武はナベツネと橋本総理が犬猿のなかであるのを知りながらも頼み込み、
いやいやながらもナベツネも橋本にキューバ選手獲得のための人脈紹介を頼み込む。

長期的に見ると、現場じゃなくて、オーナーの姿勢ひとつだと思います。




ぼくの好きな007ソングです。シーナイーストンでユアアイズオンリー♪




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