清須会議

  • 作者: 三谷 幸喜
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2012/06/27
  • メディア: 単行本


【清須会議/三谷幸喜/12年6月初版】
映画化が決定された、三谷幸喜の時代小説。
272pが3時間ほどでペロッと読めちゃうとても面白い本です。
さすがに脚本家だけあって、
各登場人物のモノローグ方式(独白・2~3pずつ)で物語が進行していきます。
しかも現代語訳です。ちなみに本能寺の変の信長のモノローグ部分を参考まで。
「今、ちょっと腹の皮を切ってみた。あ、意外と痛い。
お腹切るって結構、きついんだね。もうちょっといってみるか。あ、痛てててて。」

歴史小説にこの軽さが許せないタイプの人は、読まないほうがいいでしょう。
司馬さんだって娯楽作品ですが、あの人が小説を書くと、
その題材のものが古書店街から消えちゃうと言われる程の凄みがあります。
だから新史観でも史実のように思われちゃったりするのでしょうけど。

娯楽作品として読む、この1点にかけるととてつもない良作です。
現代語訳なので、これ史実?とか思っちゃう部分もありますが、
こちらも歴史マニアでもないし一々裏もとってないです。楽しけりゃ~ええじゃないか^^


以下に印象に残った部分を。

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<神輿は軽いほうがいいというのが世の習い>
司馬史観では秀吉は、三法師(信長の長男・信忠の息子)を推した事になっているが、
本書では最初信長の次男・信雄(バカ殿)を推している。
そのバカ殿を推す理由が神輿は軽いほうがいい。
ちなみに柴田は少し器量のある三男・信孝を推した。

p.s.司馬さんの新史太閤記の清須会議の部分は、全集でわずか10pほどです。
柴田の使者が秀吉との会話の中から、
信雄を推すと推測しただけで会議では当初から三法師を推しています。
もちろん本書のようなイノシシ狩なんかはありません。
会議もこの本のような4人の密室での会議ではなく、全員でやっています。
それと柴田勝家はもっと重厚です。。



<お市に袖にされた秀吉を黒田官兵衛がなぐさめる>
浅井長政との長男・万福丸の処刑に秀吉が立ち会った。
市がどれだけ頭を下げても秀吉は願いを聞かなかった。
信長に偽ってそっと仏門に入れることもできたはずなのに、秀吉は許さなかった。
それゆえ市に嫌われている。以下官兵衛のモノローグ

「一言申し上げておきますが、万福丸様の件に関しては、
殿は何一つ悔やまれることはありません。
戦において、勝ったものが負けた身内を処刑するのは世の習い。
生かしておくと、必ず将来災いのもとになります。
平清盛入道が、幼き源頼朝公と義経公の兄弟を救ってやったばかりに、
平氏は源氏に滅ぼされてしまったのです。」



<秀吉と官兵衛の会議状況の分析のシーン秀吉の独白>
さすがは官兵衛である。オレが試しているのを見抜いたから言うのではない。
オレは本気で聞いたのだ。並みの軍師なら、ここですぐさま自分の考えを述べるところだが、
官兵衛は違う。決して己の知恵をひけらかすことをしない。
知恵が回りすぎる軍師は、かえって主人に恐れを抱かせるもの。
恐れはやがて不信感となることを官兵衛は知っている。



<宿泊先の西覚寺での諸氏を接待後のねねの独白>
昔もこんな感じだった。藤吉郎は何かと言うと、家に人を連れて来ては、朝まで騒いだ。
最初はただの酒好き、遊び好きだと思っていたが、次第にそうではないことが分かってきた。
藤吉郎はそうやって人の心を掴み、情報を集めていたのだ。

夫は本来暗い人間である。生まれながらに右手に障害をもっていたこともあり、
本人の話では、子供のときは、人と交わるのが苦手だったそうだ。
でも出世には人脈作りが欠かせないことを知った藤吉郎は、ある時一念発起し、
それ以来見違えるように明るくなった。

だから彼の明るさには無理がある。それが私には分かる。
酒の席の彼を見ていて、たまに胸が苦しくなるのはそのせいだ。
だから私も出来るだけお手伝いしたいと思う。

今も夫は、ただ皆と酒を飲んで騒いでいるのではないのだ。これがあの人の戦なのだ。
こうして人々の心を虜にしていくのだ。ここにいる人たちは、
直接会議とは関係のない人たちだ。でも藤吉郎は知っている。
大衆の人気を掴んだ者が、時代を動かすということを。


敵をできるだけ作らないように動く、秀吉の政治学は非常に素晴らしい。
でっかいのをおみまいするぞ、という米国の政治学を批判する、
ランディニューマンのpolitical science♪歌詞は以下のサイトの訳をご参考まで。
http://ameblo.jp/shionos/entry-10010597808.html
ハイロウズのアメリカ魂に通じるものがあります。




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