小泉今日子はなぜいつも旬なのか (朝日新書)

  • 作者: 助川幸逸郎
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2015/10/13
  • メディア: 新書


【小泉今日子はなぜいつも旬なのか/助川幸逸郎/15年10月初版】
あなたが夢中になったアイドルは誰でしょうか?
レコードやCD買ったり、部屋にポスター貼ったり。なんだったらカレンダー買ったり。
そういうものを買うことで、アイドルを応援してた。

本書からの日本の女性アイドル史です。めっちゃシンプル。

1973年:花の中三トリオデビュー(山口百恵、桜田淳子、森昌子)
1976年:ピンクレディがペッパー警部でデビュー
1980年:山口百恵引退、松田聖子が裸足の季節でデビュー
1982年:小泉今日子が私の16才でデビュー
1985年:おニャン子クラブブーム
1987年:後藤久美子ブーム
1991年:宮沢りえ サンタフェでヘアヌード
1998年:浜崎あゆみ、aiko、宇多田ヒカルがデビュー
1999年:モーニング娘がLOVEマシーンでメジャーに
2005年:蛯原友里人気急上昇
2010年:AKBのヘビーローテーションが大ヒット
2011年:きゃりーぱみゅぱみゅ、メジャーデビュー

小泉今日子はなぜいつも旬なのか?
・類まれな変化する力
・すごいぞ自慢(マウンティング)しないからアンチがいない
が理由であると。たしかに非常に好感度が高くて、ほとんど批判されない。



本書によると、キョンキョンは今のタレントでいうと、きゃりーぱみゅぱみゅだそうです。
男性よりも女性に人気があり、奇抜なことを仕掛けるときに起用するとはまる。


小泉今日子は1966年生まれ。1982年デビュー。
同期は、中森明菜、早見優、石川秀美、松本伊代、堀ちえみ、シブがき隊。
4曲目の「春風の誘惑」で初のオリコントップ10入り。
5曲目の「真っ赤な女の子」でディレクターが変わり、同期の5~7番手アイドルから、トップに躍り出る。

ちなみに前後の主なデビューアイドルは以下。
1980年:松田聖子、河合奈保子、三原じゅん子、柏原芳恵
1981年:薬師丸ひろ子
1983年:森尾由美、富田靖子


以下に読書メモを。

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<小泉今日子の特徴>
9年間結婚してた永瀬いわく、「あの人はああ見えてすごくシャイな人」。
小泉今日子本人は以下のように語ってる。

『世間のみなさんは、私はトンがったことを発信するアイドルだと思っただろうし、
実際そう見えていたと思います。でも本当の私はそういうことを自発的に発信するタイプではないんです。
子供のころから内向的で、家にいるのが好きなタイプ。

部屋で本を読んだりレコードを聴いたりマンガを読んだり。
私になにか才能があるとすれば、人が提案したものを吸収して「自分らしい形」にすることなんです




<不遇な幼少期>
小学生時代は学校になじめず、
「登校拒否の連続。学校と聞いただけで、ゲロは吐くわ、熱はでるわ」
「13歳ぐらいで父の事業が失敗して家庭崩壊がはじまり」
よく知られてるとおり、中学時代はヤンキーだった。




<永瀬正敏と別れた理由>
「派手な愛憎劇があったわけじゃなくて、背負っている物に対して、
一緒にいるのがきつくなってしまったという感じだったから」




<母親との関係>
『ユミさんは優しいお母さんだったけど、友だちのお母さんたちと比べると、
お母さんっぽくない人だったかもしれない。超ミニスカートをはかされたり、
小学生なのにパーマをかけさせられたり、私はいつもユミさんの動く着せ替え人形のように遊ばれていた。
別に嫌ではなかった。むしろ好きだった。私が最初に憧れた女性はユミさんだったと思う。
母親というより、大人の女性として素敵だと思っていた。

でもいつの日からか、私がユミさんのお母さんみたいになっちゃった。
17歳のときだったと思う。原宿のマンションにユミさんが泊りに来ていた。
キッチンで洗い物をしながら私はユミさんの愚痴を聞いていた。

ユミさんは自分の感情に素直な人だから、よく泣いたり怒ったりする。
私はいつも黙って聞いてあげる。そうすると「あんたは私のお母ちゃんみたいだね。
お母ちゃんは割と大柄な人だったから姿は全然似てないんだけど、なにかがすごく似てるのよ
ってユミさんがいう』

小泉今日子が「ユミさんのお母さん」になったのは、17歳のころだったと書かれている。
けれどもそれよりずっと前から、小泉今日子のほうが「ユミさん」の自己主張を受け止める立場にあった。
子供のアピールに一番耳を傾けてくれるはずの母親が、小泉今日子にとってはいないも同然だった。
その影響で小泉今日子は、自己主張を我慢する子供になった。

「母親が母親らしくなかったこと」「母親の母親を演じて育ったこと」は彼女にとっては重かった。
誰に対しても本当の意味で心を開かなくなったかわりに、客観的に自分を見れる強みは得られた。








<最初に読んだ純文学は>
読売新聞の書評委員を10年間続けている。
読書に目覚めたのは、アイドルになってから。
(読書は10代のころ、仕事が忙しすぎて現場で何もかもシャットアウトしたいとき、
本を読むのがいい、と気づいて以来の習慣)

最初に読んだ純文学は、太宰治の「人間失格」。
(読んでみて太宰の、世間を相手に自分を演じる道化感が、自分と近い気がして夢中で読んでしまった。
ユーモアもあるし、ぜんぜん暗く感じなかったんです)




<中森明菜とのエピソード>
2人で鍋物を平らげたところで、イチゴが皿に盛られて出た。
かわりばんこに食べていったら、最後に2つイチゴが残った。
そこで中森明菜が「2つとも食べなよ」と小泉今日子に言った。小泉今日子はこう応えた。
「そういう気の遣い方をすると、遣われたほうはすごく重く感じる。
私なら2人で1個ずつ食べようかっていう」

中森明菜は目の前の他人に愛してもらえない自分を、受け入れられないタイプ。
なんとしてでも孤独から逃れようとする。愛を得るためなら最大限の犠牲を払う。
当人は必死だが、相手は重荷に感じてしまう。



なんてったってアイドル♪作詞は秋元康だそうです。
おニャン子で素人ブームをつくり、歌でトップアイドルの虚構を歌わせた。
これ以降、単体アイドル歌手が出にくくなります。



(関連記事)
【人間失格/太宰治/1948年初版】
http://donhenley.blog.so-net.ne.jp/2011-10-15

【片平里菜のデビューアルバム「amzing sky」】
http://donhenley.blog.so-net.ne.jp/2014-09-16

またねっ♪