「ない仕事」の作り方

  • 作者: みうら じゅん
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2015/11/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


【ない仕事の作り方/みうらじゅん/15年11月初版】
アイデアマンですよね。
「マイブーム」、好きな言葉です。
みうらじゅんの造語で、1997年の流行語賞の受賞語(大賞は失楽園)だそうです。

人と話すとき、飲み会なんかでよく聞きます。
「さいきんマイブーム、なんかある?」
こう聞いて熱くかたる人は好きです。映画でも、音楽でも、スポーツでも。

「いや、なんもないっす」っていうのはオモンナイ。
昼間の喫煙コーナーなんかでは、警戒して答えにくいとは思いますが。
アングラな趣味は言えないし。熱くないロウソクとか。





みなさんは、何かマイブームありますか?

以下に読書メモを。


<みうらじゅんの仕事>
(経歴概要)
武蔵野美術大学⇒漫画家、イラストレーター、エッセイスト、ミュージシャン
友人が糸井重里の事務所に勤めていて入り浸った。漫画家デビューのとき糸井氏に世話になる。


現在の仕事は、ジャンルとして成立してないものや、
大きな分類はあるけどまだ区分けされてないものに目をつけて、
ひとひねりして新しい名前をつけて、いろいろ仕掛けて、世の中に届けること。
ない仕事をつくっていく。「一人電通」

ネタを考え、ネーミングし、デザインや見せ方を考え、発表する。
そのために編集者やイベンターを接待する。ネタがよく見えるように、多くの人に見えるようにする。
クリエイティブ、戦略、営業をすべて一人で行う。

近年の大きな仕事は「ゆるキャラ」

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<ゆるキャラブーム>
・20年前、地方マスコットの着ぐるみに着目。その時点では名称もジャンルもない。

・ゆるキャラと名付け、ぜったいにブームが来ると自分を洗脳する。

・地方の物産展に多く足を運び、一眼レフとビデオに撮影。大量の情報を収集する。

・雑誌やテレビ局に企画を持ち込む。2000年に徳間書店のフィギュア月刊誌で連載を開始。

・月刊誌ではブームにならない、週刊誌だ、と「週刊SPA」に企画を持ち込む。

・編集部は怪訝な顔をする。ここで必要なのは接待。

・編集者を酒の席に招き、ごちそうをし、酔っていい調子のころにプレゼンをする。

・連載は決まらず、イベント制作会社にプレゼン。その会社は企画を面白がってくれた。

・2002年、後楽園ゆうえんちで、「第1回みうらじゅんのゆるキャラショー」が開催。

・悪天候の中、びしょぬれの審査員(山田五郎、清水ミチコ)が賞を授与。

・みうらじゅん作詞の「ゆるキャラ音頭」を皆で熱唱。

・終了後イベント会社のスタッフが濡れたゆるキャラを必死にドライヤーで乾かしていた。

・一人電通といえど、本当に一人ぼっちですべてができるわけではない。

・イベント後に週刊SPAから連絡がきて、2003年「ゆるキャラだヨ!全員集合」連載開始。

・2004年東京ドームで、ゆるキャラ総出演という「郷土愛(LOVE)2004」を2日にわたり開催。

・さいしょ「うちのマスコットはゆるくない!」と怒っていた地方自治体も、規模が大きくなり積極的になる。

・ブームへの転換期は「誤解」され始めたとき。それがブームの正体。

・深読みし、勝手に独自の意見を言い出す人が増えたときにブームは生まれる。




<接待が大事>
奥村チヨブーム、ブロンソンブーム、ボブディランブームのとき、
フライデー、宝島、アサヒ芸能、など様々な媒体の連載に、同じことを一気に書いた。
一気に全部の雑誌に書くのがポイント。もしかしてそれがブームになってるのか?と人は勘違いする。
ライターは誰か?なんていちいち人はチェックしない。

どうやってそんなにたくさんの連載を得るか?
「一人電通」として接待という名の飲み会を欠かしてはいけない。
雑誌の仕事は、編集者に気に入られなければ、仕事は来ない。
仕事は読者や大衆のためにやることと思いがちだが、それでは仕事の本質がぼやける。
考えるのは、母親と目の前の編集者だけでいい。
編集者が最初の仕事を面白がってくれれば、やがてそれは連載へつながる。
才能があって接待がない作家と、才能はそこそこで接待のある作家。編集者はどちらを選ぶか。

気心が知れてさっくばらんになり、編集者がお酒で調子よくなったタイミングで、
「あの囲み記事だけど、1ページでやってみるのはどうかなぁ」と打診してみる。
ネタを広めるには、見せ方が大事。

言わせていただきますが、わたしと酒を飲んでくれた編集者は、結構な確率で出世していきます。
きっと飲み屋の約束を果たしてくれる編集者には、将来大物になる素質があるのでしょう。
25年ほど前、スポーツ雑誌「ナンバー」の、若大将のような新人編集者が私のところにやってきました。
・・・何度もいっしょに仕事をして、取材旅行に行き、朝まで酒を飲みました。
そして2012年、その編集者から久しぶりに突然電話がありました。
週刊文春の編集長になることが決まったので、連載をしてほしいというのです。とても嬉しかった。
「みうらさん、テーマはエロでお願いします」・・・始まったのが「人生エロエロ」なのです』

接待のポイントは本書にて。

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<仏像ブーム>
・小学校の時、怪獣博士となるべく、スクラップブックをつくる。

・仏像ならクラスにライバルがいない。仏像博士になろう。仏像スクラップを開始した。

・京都に住んでいて、古美術好きな祖父に連れられてよく寺に通っていた。

・中学2年まで続いていた仏像のスクラップ。女の子にもてないのでやめた。

・1992年に「見仏記」をいとうせいこうと始める。

・実家からもってきた仏像スクラップをいとうせいこうに見せたら、「異常なる興奮を感じる」と。

・中央公論編集部に電話をし売り込む。

・2人で仏像をみてまわり、文章をいとうせいこうが書き、イラストをみうらじゅんが描く。

・見仏記は、単行本8冊、文庫本6冊、2001年からはテレビもスタート。DVDは20本を超えた。

・いまではお寺にいくと、「見仏記」の文庫本をガイドにしてお寺を回ってる読者によく会う。

・文庫本は現在36刷のロングセラー。

・90年代半ばから「旅の手帖」で仏画の連載を始める。何十枚とまとまり仏画展も開催。

・2009年の国宝阿修羅展は、東京だけでも100万人を動員。

・阿修羅ファンクラブ会長を主催者から頼まれた。



・作詞みうらじゅん、作曲アルフィー高見沢がテーマ曲となる。

・阿修羅展以降、いとうせいこうと2人で「仏像大使」に任命されることが3度。

・オフィシャルグッズを作りたい、テープカットをしたいとの理由で受ける。

・それまでの物販はしょぼかったので、物販のアイデアを考えたかった。

・自分たちが本当に欲しいグッズを考え制作。


みうらじゅんの本当の「ない仕事」は、エロスクラップだそうです。
『大学3年から35年間、休まずに続けている。
「仏像スクラップ」同様、1人編集長として、再構成した、「みうらじゅん監修エロ本」。
ついに先日450巻を超えた。しかしこれは仕事にできない。著作権と肖像権が発生するから。
何十年前のものは、貼ってあるのが誰か、元の雑誌が何かも特定できない。
内容が内容なので、現物を直接人に見せることもできない。作品集として世に出すことが難しい。

なぜ「エロスクラップ」に長年ワクワクし続けているのか?
「仕事に直結しなくて後ろめたいから」 』



みうらじゅんといえば、ボブ・ディランですよね。
中学の時はじめてボブ・ディランのレコードを買って歌声を聞いたとき、
「しまった!」と思ったそうです。その気持ちよくわかります^^
ぼくも高校のときに聞いたディランが合わなくて、以来ほとんど聞いてません。
ずいぶん大人になってから、初期の作品だけ聞きました。なんせ作品数が多い。

みうらじゅんがエラかったのが、修行のようにディランを聴き続け、
必死にディランを好きになろうとしたことです。のちに漫画を描いて、映画にもなりました。
みうらじゅん選曲のディランベスト盤も出してます。


バーズが1stシングルとしてカヴァーした、ミスター・タンブリンマンを♪ディランでは一番好きな曲。



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ちょっとほしい阿修羅像フィギア。




またねっ♪