街場の読書論

  • 作者: 内田樹
  • 出版社/メーカー: 太田出版
  • 発売日: 2012/04/12
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


【街場の読書論/内田樹/12年4月初版】
「呪いの時代」に続いて読んだ本。最近内田樹の新刊が出ると必ず読んでるなぁ。
書評やらエッセイを掻き集めた本です。410pでエッセイが80弱ほどあります。
寝る前にちょっと読んで寝るのに最適かも。

この本の主題は「言葉が伝わるというのは、どういうことか」です。
多くの人に「これは自分宛のメッセージだ」と思ってもらうことが大事だと。
どれほど美しい言葉を語っていても、受信者が「あ、これオレ宛てのじゃないわ」と思えば、
メッセージは虚しく空中に消えるという。

そのことについて、言葉を発する人たちはちょっと自覚が足りないんじゃないか、
と内田樹は言ってます。

リーダビリティの本質は「自分宛てのテクストだ」と読者に思わせることだそうです。
リーダビリティとは「面白く読める、判読できる、読みやすい」ということで、
それは読後に得られるものでなく、最初の5~6行でわかってしまうものであると。

目の前の書き物を読み通すために必要な忍耐と集中を担保する、
「これは楽しく読解できる」という直感を読者にもたらす力、それがリーダビリティだそうです。


もうひとつ、池谷祐二との脳の話は印象に残りました。

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『書斎にこもって万巻の書を読んでいるが一言も発しない人と、ろくに本を読まないけれど、
なけなしの知識を使いまわしてうるさくしゃべり回っている人では、
後者のほうが脳のパフォーマンスは高い。

パフォーマンスというのは、端的に「知っている知識を使える」ということである。
出力しない人間は、「知っている知識を使えない」。
「使えない」なら、実践的には「ない」のと同じである。

~中略~

爾来私は書物について、「出力性」を基準にその価値を考量することにしている。
小説だってそうである。
読んだあとに、「腹が減ってパスタが茹でたくなった」とか、「ビールが飲みたくなった」とか、
「便通がよくなった」というのは、出力性の高い書物である』


あ、すいません。もうひとつ。内田樹がゼミの学生向けに書いた卒論の書き方。
メッチャ良かったです。退任の年だったので最後の記念に掲載されてました。

卒論とレポートの違いは、オリジナリティの有り無しと読者の違いである。

レポートは切り貼りでいいし、読者は先生だけですが、
論文は自説が必要で多くの人の目にも触れます。
いつか読んでくれる人のために、「贈り物」として論文は書くべきであると。

ユーモア溢れる文章で爆笑させてくれる上に、教え子への愛情が溢れています。
名文なので必読です。ぜひ息子らが大学生になったら読ませたいなぁ。

なんかブログを書くのに参考になりますよね。


ダンフォーゲルバーグでバンドリーダーの贈り物♪
この場合の贈り物は、父から息子への「血と言葉」です。




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