間抜けの構造 (新潮新書)

  • 作者: ビートたけし
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2012/10/17
  • メディア: 単行本


【間抜けの構造/ビートたけし/12年10月初版】
「生と死という、よくわからない始まりと終わりがあって、人生というのはその間でしかない」

ビートたけしの辞世の書とも感じられる1冊です。口語体だし、だれかが書き起こした本かもしれませんが、漫才、映画、人生についてまじめに語っています。とは言えあの語り口調で、なかなかに笑わせてくれます。

・間抜けな客:
映画館での話。映画館には割引があるから、学生は「学生一枚」と申告してチケットを買う。それを聞いた田舎のオヤジが、わけもわからず「百姓一枚」と言った。


・打たれたノムさんの間抜け:
王さんが打席に入ったとき、「ワンちゃんよ、銀座の女が…」って言っても、王さんはずっと黙って無視している。で、結局ホームランを打っちゃう。

今度は張本さん。「おい、ハリ。銀座の女が…」と囁いたら、張本さんが「てめえ、野村!いいかげんにしろこの野郎。ガタガタ言ったら張っ倒すぞ!」と言いながら、ヒットを打つ。

最後に長嶋さんが来て、「ミスター。銀座の女が…」って言ったら、ミスターは「そうなんだよぉ」とか言って、バットを置いて話しかけてきたという。一緒になってしゃがんで話し込んじゃうというんだからおかしい。

三人とも独自の間を持っているってことかもしれない。この場合、打たれた野村さんが間抜けってことになる。


・政治家の間抜けな失言:
筆頭は鳩山由紀夫。「最低でも県外」なんて間の悪いこと言って、日米関係をこじらせちゃった。腹案とやらがありもしないのに、一国の総理が軽薄な正義感だけで発言しちゃう。具体的な勝算も可能性もない。この人の奥さんもちょっとおかしい。「たけしさんと私は同じ時代に金星で一緒だったんです。今度お話いたしませんか」って言われたことがあるけど、これはもう間が良いとか悪いとかいう問題じゃなくて「つける薬がない」という典型的な例。

「あなたとは違うんです」by福田康夫元首相
「友だちの友だちはアルカイダ」by鳩山邦夫
「周辺市町村の市街地は人っ子一人いない死の町だった」by鉢呂吉雄元経済産業相



この本読むまで知りませんでしたが、売れるまで結構紆余曲折あったようです。明治大学を中退し新宿でいろんなバイトしてタクシーの運転手をやった。タクシーは半年でやめて、25歳で浅草行ってストリップ小屋のエレベーターボーイをする。そこで先輩のきよしに誘われてコンビを結成。

コンビ組んで5年ぐらいしてから徐々に売れ始めた。その間貧乏のどん底で、きよしとストリップ小屋のオカマ(前も全部取ってる)がデキて同棲をはじめた。売れっ子ストリッパーだったので、きよしはお小遣いをせびる。さらに相方のたけしもおこぼれを頂戴するという底辺の食物連鎖だった。 ちなみにそのまんま東は、売れる前から「絶対売れます」といって弟子入りしてきたので、一番弟子になった。ぼくらが知ってるたけしは、三十を超えて漫才ブームで売れてからのたけしです。



映画については、「映画は間の芸術である」と言ってます。映画の間はコマで決まるそうです。作家にとっての文体が、映画では間であると。具体的にいうと、映画の中に流れる時間をどう操作するかという。フィルムだったら1秒間に24コマあって、その2コマだけ編集でとったりする作業。たけしは編集が大好きで、さっさと撮影を終わらせて早く編集したいと思ってると。

空間の間。これはフルショットなのか、アップなのか、ロングなのか。フレームの中で人物をどう配置するのか。

演技の間。役者どうしは間を取り合う。うまい役者は「自分の方が不利だな」と思った場合は、一旦、間を外しておいてから、「ほら、自分の方がうまいだろう」という芝居を始める。日本では樹木希林が得意。外国の役者なんかみんなそう。デニーロの二度見とか、一度見て視線を外してからもう一回みるので、デニーロの間になってしまう。アルパチーノは四度見を平気でやったりする。ベテランの役者同士だとそれを延々とやり始めるので、たけしの映画では「頼むから演技合戦はやめて、間をどんどん詰めてください」とお願いしてる。


その他の読書メモを。

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<間がイノベーションを妨げる>
間というものを大事にするのは日本の長所でもあるけれど、その一方で短所もそこにある。間を大事にするということは、つまり過剰に空気を読む文化でもあるわけで、そうするとゼロから何かを生み出す能力がどうしても弱くなる。新しいものをつくるには、何かを壊さなきゃいけないんだけど、それが苦手。結果、思い切ったイノベーションができない。


<高座の意味>
高座はもともとが、お寺でお坊さんが説法するところだった。お坊さんのありがたい話を聞かせる舞台装置として、一段高くした。それを寄席でも採用した。客席よりもちょっと高くして、演者の目線を上にする。お笑いの方に下駄を履かせて、初めて「お笑い」と「お客さん」が五分になる。昔から芸人なんてものは「河原者」なんて言われて、社会的には一段低く見られていた。だからこそ高座で客より高い位置に立たせて、芸人に下駄を履かせる。


<討論を制する技術>
討論のときにどこで話に入っていくかというのは、縄跳びに入っていくタイミングを見極めるのと同じで、上手い下手がある。上手い人は相手が呼吸するタイミングで入ってくる。相手が息を吸った瞬間に「いやあ、だけどさ」と入ってこられると「ウッ」となって、話をとられる。そうやって相手がしゃべるのをつぶす。人気のあるキャスターやアナウンサーは、このあたりの間合いを熟知してる。息継ぎのタイミングをちゃんと研究してるから、みんな上手い。

最近は話に割って入ろうというときに、否定からは入らない。「それはあなたの言うとおり」と肯定から入る。そう言われると相手も一瞬「うん」となるから間が空く。その瞬間に自分の話にもっていく。

討論が上手くなる方法はまだあって、ちょっと長めにしゃべりたいと思ったら、「私の言いたいことは二つある」とやる。「三つあります」というと、「おまえ三つもしゃべるのか」となるので二つがいい。まず一つめは、すごく短くする。「一つめは、政府の見解には断固反対です」とか。そうやって「こいつの話はすぐに終わるな」と周りを油断させておいて、「二つめ」に、自分の本当に言いたいことを長めに主張する。討論で「この人うまいな」と思わせるのは、大体そういうやり方の人。




わたしはあなたの金星人♪
男をみんな狂わせる♪

この曲で踊った人は結構多いかも。バナナラマでヴィーナス。




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